大切な人に寄り添いたい人へ 私・・脳腫瘍になっちゃった!~病人の悩み・葛藤編~

こんにちは、ぴーたんです。

脳腫瘍という病気になって、直面した「周囲への説明」というもう一つの苦しみについて、綴っていきます。

病気を告知されたとき、つらいのは治療や手術そのものだけではありません。
ぴーたんにとって、手術前に心身ともに大きな負担となったのは、「周囲の人へ病状を説明すること」でもありました。

ぴーたんが診断されたのは「脳腫瘍」。
そのなかでも幸いにも良性で、手術で切除できる場所にあったため、すぐに命に直結するわけではありません。
しかし、「脳に腫瘍がある」、「頭を開いて手術する」、という事実や、脳腫瘍に対するこれまで持っていた絶望的なイメージに、自分自身も大きなショックを受け、現実を受け入れられずにいました。

そんな頭で理解しきれていない混乱の中で、周囲に病気を伝えるプロセスには、想像以上のしんどさがありました。
説明しない、という選択肢もあるのかもしれません。
でも万一、自分が手術によって再び目を覚ますことがなかったら・・
自分はいいけど、殿さまが責められるかもしれない、それに万一のことを考えると、両親にも色んな感謝の気持ちも伝えたい。
今、生きている以上、振り返れば大げさだったかもしれません。
けど、頭を開けて手術するって、医療がいくら進化していても、絶対間違いなく無事!なんて、思える心の余裕はなかったから、、

いろんなことが、頭によぎって、少しの時間悩みはしましたが、早い段階で、ぴーたんは、自分自身で説明する、という選択をしました。

伝える相手ごとに異なる「説明のつらさ」

病気を報告しなければいけない相手は複数いましたが、関係性によってそれぞれ異なるつらさがありました。

夫への報告

一番に伝えるべき夫への説明ですが、実は「つらい」と感じる余裕すらありませんでした。
病院で告知受けた衝撃そのままで、すぐ殿さまと食事に行く予定があったから。
自分自身がパニックになっており、状況をまだ受け止めきれていなかったため、無我夢中で伝えたというのが本音です。

親・きょうだいへの報告

年老いた両親には余計な心配をかけたくないものです。
まして、自分がもういい年齢なのに、この年になってまで、親を心配させるのかな、って悲しくなりました。
命に関わらないとはいえ、「頭部に腫瘍があり、それを手術する」という抵抗感のある事実を、自分自身も咀嚼できていない状態で細かく説明するのは、本当に精神的なエネルギーを消耗しました。

友人への報告

「脳腫瘍」という言葉のインパクトは強く、大抵の友人は一瞬でショックを受けてしまいます。
そこから「良性で、手術をすれば大丈夫」と一通り説明するものの、お互いにショックを抱えたまま、会話をどういう着地点で終わらせればいいのか、区切りをつけるのがとても難しかったです。

悪気のない「質問攻め」が心を削っていく

周囲に病気を伝える中で、特にしんどかったのが「根掘り葉掘り聞かれること」でした。

相手にとっては初めて聞く大病の話ですから、驚きと心配から状況を把握しようと質問攻めになるのは当然のことだと思います。
もちろん悪気なんてないことは痛いほどわかってます。

しかし、伝える側の私は、話す相手の人数分だけ、同じ質問に何度も答えなければなりません。
自分自身がまだ現実を受け入れられていないのに、相手を心配させちゃいけないと、まるで「もう受け入れている」という毅然とした態度を演じながら同じ説明を繰り返すのは、本当につらかった。

「説明すること自体」が嫌なんじゃないんです。
説明を重ねるたびに、自分が病気であるという現実を何度も突きつけられ、さらに自分が不安になってしまうことが、何よりもつらかったです。

心配の言葉を「否定」し続けなければいけない葛藤

「こういう治療法はないの?」 「なんとかならないの?」 「原因は分かっているの?」

みんなが私を心配して、必死に言葉をかけてくれているのは十分に分かっていました。
もし自分が逆の立場なら、同じように声をかけたはず。

けれど、自分の口からハッキリと説明できる状態だったからこそ、それらの問いに対して「それはできないんだ」「原因は分からないの」と、相手の好意や希望を一つひとつ否定し、現実を突き返さなければならない問答が、私をすり減らせていきました。

「心配してくれてありがとう」と思っているのに、心が追いつかない。その矛盾がとても苦しかったです。

今、元気になって、思い返せば、そのひとつひとつのみんなの優しさや自分に向けられている愛情に、改めて感謝の思いが沸き上がってきます。なので、大切な人からの気持ちをその瞬間に理解できなくても、あとからその愛情を素直に受け止め、再び感じたり思い出したりすることはできます。
ただ、その時は、ただ・・心が追い付かない・・、そういう心理状態でした。

慰めなのに傷ついた言葉

「医者はおおげさ」

数ある言葉の中で、最も傷つき、嫌悪感すら抱いてしまった慰めがあります。

それが、「医者は万が一の時のためにおおげさに言うものだから、大丈夫だよ」という言葉でした。

元気なときの世間話であれば、「そういうこともあるよね」と流せたかもしれません。
確かに医師は、最悪のケースや後遺症のリスクを想定して説明します。

しかし、当事者である私は、専門家としての医師の言葉を尊重し、医学的根拠に基づいた話を信じるしかありません。
命や体に直結するからこそ、真剣に向き合っていらっしゃいます。
それなのに、特に後遺症などの深刻なリスクについて話しているとき、「おおげさだから」という無責任な言葉で、安易に安心させようとされることが、一番悲しく、腹が立ってしまいました。

無理解な励まし

ぴーたんの場合、聴覚神経をすでに損傷していて、耳に水が張ったように聞こえにくいなど、自覚症状が出ていました。
実際に精密な聴覚検査を行っても約半分ほど、右耳の聴力が失われている状態でした。

そして、医師に言われたのが「聴覚神経は損傷を受けると修復できない」ってこと。
自分でもすごくショックだったし、実際、インターネット上で何度も何度も、検索方法を変えたり、治せる方法ないか調べたり。
でも・・無理なものは無理だった。

病気はショックだったけど、治るって言われたから恐怖はあれど、心のどこかで、医師が治るって言ってくれてるなら、きっと大丈夫!と自分に言い聞かせられた。

でも聴力については、医師から、はっきり「今のレベルの聴覚能力を維持できるように最善を尽くすけど、手術によって聴力が低下することがあっても、向上することはありません。なぜならば、手術により聴覚神経を損傷する可能性も否定できず、また現在損傷している聴覚神経を修復(復元)することは不可能だから」と理論だてて、丁寧にしっかり、納得できる説明を受けたから。

医師の説明が納得できないなら、ジタバタしたくなる。
でも、「なるほど」と思える説得力で無知なぴーたんでもしっかり納得できる。
だからこそ、この右耳の全聴力を失う可能性がある、ということには病気以上の絶望がありました。

たた「納得できる」ってことと「受け入れられる」ってことって違うよね。
納得して、諦めなくてはいけないとわかっているし、諦めようが、諦めまいが、聴力は元には戻らないのも、わかったんだけど、じゃ、諦めたからって、割り切って受け入れれるとは違う。
認めざるを得ないけど、自分の身に起きたこととして受け入れらないし、右耳に音がなくなってしまう世界の恐怖感を感じる。

そこに、「医者は万が一の時のためにおおげさに言うものだから、大丈夫だよ」とか、「少しずつだけど、治っていくかもしれないよ」みたいな慰め。

だから!!!治らないんだってば!!!
ゆで卵は生卵には戻らないでしょ!ってそう言いたかった。

心のなかではそう叫んでいたけれど、丁寧に説明するしかない。
それでも、ぴーたんから聞く話と、医師から直接聞く話の重さの違いなのかな。周りは前向きに「治るかもしれない」という勝手な希望を押し付けてくる。

ぴーたんが手術前、右耳の全聴力が失われるかも、ということが、脳腫瘍という病気の事実よりも、一番悲しくてつらかった。
そして実際、手術後、回復した今でも、今回病気のなかで一番悲しかったのは、自分の聴力が元には戻らないこと。

一番悲しい、つらい、と思っていることに、自分が事実を受け入れなくてはいけないのに、受け入れられない周りからの言葉をさらに受け止めなくてはいけない。

相手を想えばこその、そういう言葉になるんだろうけど・・
今回、自分が病気という立場になって、病気の人に対する言葉の発し方について、常々考えさせられる出来事となりました。

最後に

病気になったとき、患者は病気そのものの恐怖だけでなく、「周囲とのコミュニケーション」や「気遣いの連鎖」の中でも傷つき、疲弊していくのだと痛感しました。

かける言葉の難しさは、自分が逆の立場だったらと思うと本当によくわかるかもしれないけど、、
いや、実際は、大きな病気やケガをしなければ、理解できない領域なのかもしれないです。
相手を思いやる気持ちが強すぎて悪意がないからこそ、この「説明のしんどさ」は闘病における隠れた苦しみの一つだと感じました。

病気やケガの重さ、当事者のメンタルの強さ、そういったものに強く左右されるものと思いますが、深刻な病気ではあればあるほど、「できるだけ聞かない」というのは、強い優しさなのかもしれない、と思いました。

もし聞くとしても、好奇心や詮索に近い心配(病状そのものに対する細かな質問)ことより、現状の心配(体がどのくらい痛いとか、眠れている?とか)、術中・術後の心配(心配だから入院中LINEしても大丈夫?、術後家事大変だろうからなにか手伝えることある?とか)相手が自分のこととして、考えずに答えられるような質問とかだと、より心配してくれるんだな、という優しさが伝わりやすいのかな、思います。

相手の気持ちに寄り添うために、相手を励ますために、と思いつつ、実際は、自分が安心するための問うような姿勢は避けたほうがいいな。
より相手のことを心配する気持ちを届けられる言葉の選び方があるのかもしれないな、と感じた出来事でした。

もしも大切なかたが大きな病気になられた際に、お話しする機会があれば、ぴーたんの今回の記事を頭に入れておいてもらうだけで、一歩控えた寄り添い方に変わるかもしれません。

ご案内
<本書の内容は運営者の個人的な体験談であり、医学的診断や治療を代替するものではありません。症状がある場合は必ず専門医を受診してください。>

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◆参考記事:殿さまへの報告
私・・脳腫瘍になっちゃった! ~【実体験】脳腫瘍発覚編~

◆参考記事:手術後遺症の説明
私・・脳腫瘍になっちゃった! ~【実体験】手術準備編~

困惑してるmomo
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